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僕がモノクロ写真を撮る理由


早いもので、初めての個展を「Roonee 247Photography」(東京四谷三丁目)で開催してから一年が過ぎた。

ちょうどそのころ、自分が「何故モノクロ写真を撮るのか」「何を表現したいのか」が明確に判り始めた時期と重なる。

元々は、「アート・ステートメント」を作るために、数ヶ月間に渡り自分の過去を詳細に振り返っていたのだ。

各年代ごとに、好きだったこと、嫌いだったこと、起こった事件、イベントなどをつぶさに思い出す作業を行った。

例えば、遠い昔の話だが、3~4歳くらいの時は、体が弱く頻繁に点滴をして幼稚園を休んでいたとか・・・

その当時、近所の同級生には女子しかいなかったことだとか・・・

小学校2年生で通学班の班長に指名され、すごく心の重荷だったことや

小学校5年生の時のアポロ11号による月面着陸に興奮したが日本の技術力のなさに失望したこと

親父が大阪万国博覧会で自動車館の職員だった関係で、春と夏休みの二回も訪れたこと

最近の話題としては、ドイツ企業への転職、離婚、再婚や病気の話などである。

詳細は、今後のブログでおいおいお紹介していくが、56年以上も生きてきたのだから思い出すだけでも容易なことではなかった。

そこから、一貫して見えるもの、共通していることを考えるのが「アーティスト・ステートメント」の基本なのである。俳句の世界では、「境涯」ともいうのだそうだが、これは、他人見せるものではなく、己を理解するためのものなのだ。

しかし、あまりにも自分で納得出来たので、あえてここで紹介させて頂くことにする。

これが俗にいう「腑に落ちる」という状況でしょうかー

さて、もともと写真を撮りはじめたころはカラーで撮り始めていた。

しかもどちらかと言うと派手な色彩が好きであった。さらにカメラに搭載されている「アートフィルター」という機能を使いまくり喜んでいたのです。しかし、いつの頃からか、アーバン色からセピア色、そしてモノクロへと色が付かない写真へと変わっていったのです。

最初は、単にマイブームの一種だと思っていたですが、前述した通り自分史を振り返ることにより、いつの時代も自分が一番興味があったことは、技術者になること、エンジニアになることだったことに気付かされたのです。

つまり、自分の人生で一番時間を費やしたのは「モノを設計すること」「図面をつくること」であり、その世界は、色彩の無い世界でありながら、自分の眼には完成品の色が見える。

そんなことを延々と繰り返し経験してきたのです。

だから、カメラのファィンダー枠は、自分にとっては図面の「図枠」であり、その被写体は、その図枠にレイアウトすべき物が対象となるのです。

そして、無意識に好んで撮っている被写体からは、共通して「線」を追いかけているという事実も見つかったのです。

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