三段ロケットの法則
正確な時期は忘れたのだが、写真家「ハービー山口さん」とお話する機会があった。 そのときの言葉がとても印象に残る。
「人生は、ロケットのようだ。一段目の噴射が終わり、二段目の噴射が終わったと思ったら、今、また三段目のロケットにも点火して加速している。」
「もう終わったと思ったのに、60歳を過ぎてからも未だに面白いことが起こるんだよ。」
この感覚は、自分にも思いあたる節があったので、とても共感出来るのだ。
「私も写真で第三の人生を始めてみました。」と告げてみる。
「とても素晴らしいことだと思うよ。がんばって!!!」
優しい返事を頂く。
類似した考え方を持つ方は、世の中にたくさんいる。
たとえば「50代から始める知的生活術」を著した英文学者「外山滋比古」氏。
もう一人は、「坂の上の坂」の著者である「藤原和博」氏などである。
今思い返すと、これは若いころからの「心がけ」から始まっていたような気がする。
大学生の頃、「いろいろなことを出来るだけ数多く経験しておきたい」と考えていた。
だから、自分があまり興味のないことでも取りあえずやってみた。
例えば、カラオケ、コンサート、サッカー、競馬、麻雀、パチンコ等々。
専攻が理工系であったので、普段はアルバイトをする時間も無かった。
だから長期の休みになると集中して働いた。
金銭獲得が主目的ではあったが、アルバイトを通しての社会見学の意味合いも強かった。
単純なチカラ仕事から始まり、工場の組立ライン、旋盤加工補助、そして営業まで経験する。
そして、貯めたお金で初めて海外に出かける。
少々、大袈裟な表現になるが、まるで「明治維新」のような衝撃を受ける。
社会人になると「本業以外のことにも可能性を見出したい」と思うようになる。
その意に反して、実際の仕事は単調に思えた。
日々の仕事に追われて、歳を取ることに焦りを感じたころ、英会話教室に通い始める。
三十歳も過ぎてると「会社の肩書を外しても通用する人間になりたい」と考え始める。
やがて、ある雑誌に毎月連載を始める。勿論、本名ではなくペンネームでだがー。
結果的に5年間も執筆することになる。
大学卒業後のこのあたりまでの20年間が「第一の人生」。
四十歳を過ぎて、やむなく転職することになる。
外資系の会社だった。
改めて英語の猛勉強する。
基礎学力が無いことを思い知らされる。
しかし、人生の中で一番仕事に夢中になった時期でもある。
それこそ、24時間戦った。
日本時間の夕方にヨーロッパが働き出し、深夜にはアメリカが始まるからだ。
海外出張も頻繁になる。世界一周の出張もあった。
結果、世界中に友達が出来る。
離婚、新たな伴侶との出会い、そして再婚も大きな人生の節目となる。
この十数年間が、僕の 「第二の人生」だった。
そして、難病発症。
期せずして、早々とサラリーマンを辞することになる。
一日100通以上もあったメールがひとつも無くなる。
部下もいないので、会話をする必要もほぼ無い。
あれほどあった会議も出張も皆無。
これが「人生の第三章」の幕開け。
思いかえせば、実に沢山の趣味に没頭した。
ロードレーサー(自転車)を組み立てた時、
アーチェリーに夢中になった時、
スキー検定に熱を上げた時代、
キャンプ道具を揃えた時期、
そして仲間とテニスに興じた時もある。
海外旅行もほぼ毎年のペースで行った。
実際、パスポートも37年の間、途切れたことは無い。
国内も沖縄以外は、全ての都道府県に足を踏み入れる。
そして、今は「写真」である。
気が付けば、既に会社以外での知り合いがたくさんいる。
たくさんの「繋がり」も出来ていた。
人生は「二毛作」どころか「三毛作」
いま改めて、そう確信している。