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もうひとつのふるさと


あなたにとって「ふるさと」とは?そう聞かれたらなんと答えるでしょうか。

生まれてから、ずっと同じところに住んでいる人もいるかもしれませんが

多くの場合、現時点で住んでいる場所とは異なること思います。

そんな私には、沢山の「ふるさと」があるように思えてなりません。

生まれた育った土地である「横浜」

大学を卒業から20年間も住んでいた土地「京都」

或いは、中学校から10年間も通い続けた学校「関東学院」なのかもしれません。

初めての海外駐在の地「ドイツのヒルシャイド」もそのひとつの候補かもしれません。

ですが、私には、もうひとつ別の「ふるさと」があるのです。

以前のブログにも少々、紹介してましたが、先祖代々「島根県」の人間なのです。

小学校のころから、夏休みになると毎年一カ月近くは、祖父の家に滞在した。

子供のころは、急行「出雲号」(ブルートレイン)で往復するのが何よりも楽しみだった。

会うたびに祖父は、一年分のおこずかいを気前よく渡してくれた。

ありがたいことに、この慣習は、亡くなる直前まで続く。

すなわち、就職した年まで続いたのです。

大学生の時、初めて海外旅行でメキシコ・カナダ・アメリカに行くときも、

就職したときにもお祝いを貰った。

その祖父が会うたびに、繰り返し私に言って聞かせました。

「自分が生越家の8代目、お前は10代目だからな」と・・・

初代のご祖先が生まれたのは、今から約300年ほど前の「江戸時代中期」にまで遡る。

先日、父親(岩手出身で養子)の13回忌の法事で久しぶりに島根に出向いた。

相変わらず交通の便がとてつもなく悪い。

街には、昼間でもあまり人通りが無い。

夜ともなると街灯も疎らで真黒な闇夜となる。

年に数人の赤ちゃんが生まれているかどうか言う高齢社会。

実際、街で若い人にあまり会うことが無いような気がする。

時間の流れ方も違うように思う。

相変わらずの「ド」がつくほどの田舎だった。

自分のなかで田舎の基準がここにあるのだが、そこには先祖代々のお墓がある。

親戚から「墓があるところが“ふるさと”でだ」と言われた。

生まれた土地でもなく、育った場所でもないので複雑な想いが巡る。

しかし、この地に自分のDNAがあることは確かなのだ。

納得するしかない「しがらみ」を感じた瞬間だった。

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